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手袋産業のあゆみ

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1888年(明治21年)

両児舜礼が三好タケノ(のちの明石タケノ)と大阪へ駆け落ちし、生計を立てるために、メリヤス製品のてぐつ(手靴)と言われた指なしの手袋の製造を始める。

手袋産業の生みの親
両児舜礼

両児舜礼
旧姓:三好)

生みの親の妻
明石タケノ(旧姓:三好)

1891年(明治24年)

亡き父の仏事に帰郷した両児舜礼が、従兄弟の棚次辰吉を連れて大阪で家業を拡大し、本格的に経営に乗り出す。

棚次辰吉

手袋産業の育ての親
棚次辰吉

1892年(明治25年)

両児舜礼が脳涙結昌病で39歳の短い生涯を閉じる。棚次辰吉が舜礼の未亡人タケノを助けて遺業を継ぐ。

1899年(明治32年)

棚次辰吉が故郷松原村に帰村し、教蓮寺住職 楠正雄と松原村 村長 橋本安兵衛の協力を得て、衰退期にあった製塩業に従事する塩業民救済のため、教蓮寺境内に手袋製造所「積善商会」を設立する。

積善商会
積善商会

1900年(明治33年)

棚次辰吉がドイツ製の飾縫手袋にヒントを得て軽便飾縫ミシンを発明し、同35年専売特許4185号を取得する。

1914年(大正3年)

第一次大戦によりヨーロッパが戦地となったため、手袋代替生産国として日本へ大量注文が入り、この需要に対応するために、数年かけて多くの手袋工場が設立される。

大阪手袋株式会社讃岐支店大正時代
大阪手袋株式会社讃岐支店
大正時代
東洋手袋株式会社白鳥工場の建物
東洋手袋株式会社白鳥工場の建物

1915年(大正4年)

神崎長五郎が、シンガー二重環ミシン2台(足踏み式)を購入し、それを参考に白鳥工場の手廻しミシンを足踏み駆動に改良する。

神崎長五郎

生産技術向上の功労者
神崎長五郎

神崎商店白鳥工場のトリコット機昭和6年(1931)
神崎商店白鳥工場のトリコット機
昭和6年(1931)

1919年(大正8年)

成瀬歌吉が、店舗を大阪市吉野町に移し、上海向け手袋を製造。月産2万ダース以上を輸出するようになる。

成瀬歌吉

海外市場開拓の先駆者
成瀬歌吉

成瀬歌吉が経営する成営公司上海支店昭和12年(1937)
成瀬歌吉が経営する成営公司上海支店
昭和12年(1937)

1931年(昭和6年)

満州事変により、年間30万ダースあった中国向け手袋輸出が激減する。

1943年(昭和18年)

満蒙開拓の一環として手袋産業を海外で扶植するために引田町・相生村・白鳥本町の3町村の有志20名により満州徳香手袋株式会社が設立される。

森本吉太郎

隠れた実業家
森本吉太郎

満州徳香手袋株式会社の集合写真
満州徳香手袋株式会社の集合写真

1949年(昭和24年)

革手袋の製造が再開される。

1950年(昭和25年)

昭和天皇が四国御巡幸の途次、旧白鳥町の原繊維工業株式会社を御視察する。それを記念して、手袋祭りを毎年実施することとし、第一回手袋祭りが開催される。

第1回手袋祭
第1回手袋祭

1951年(昭和26年)

第ニ回手袋祭りにおいて「手袋音頭」が発表される。縫手袋と革手袋の生産が急増して輸出が始まる。

御巡幸風景
御巡幸風景
手袋音頭
手袋音頭

1954年(昭和29年)

編手袋の技術を転用して、ホームカバーの製造販売が始まる。

1955年(昭和30年)

旧引田町の手袋会社が、韓国ソウルでビニール手袋を製造する。これが手袋産業の海外進出の始まりとなる。

1959年(昭和34年)

この年の手袋輸出額が22億円となり、同年の香川県輸出額の過半数を占める産業となる。

1960年(昭和35年)

アメリカ向けの輸出を中心に、産業全体が賑わい活発になる。ゴルフ手袋の製造販売が始まる。

アメリカ向け手袋の出荷風景昭和35年(1960)
アメリカ向け手袋の出荷風景
昭和35年(1960)

1962年(昭和37年)

日本手袋工業組合発足する。(~現在に至る)

国内生産最盛期の手袋工場の風景昭和37~38年(1962~63)
国内生産最盛期の手袋工場の風景
昭和37~38年(1962~63)

1965年(昭和40年)

スキー手袋の製造販売が始まる。

1973年(昭和48年)

オイルショックにより手袋の輸出が下降する。これにより内需で代替する政策に転換する。

1981年(昭和56年)

東京原宿で、「81~82手袋コレクション」と銘打って、世界初のファッションショーを開催する。

1982年(昭和57年)

11月23日を「手袋の日」と定める。

ゴリラの大広告塔
東讃活性化のシンボル・キャラクターであるゴリラの大広告塔が国道11号沿いに建てられました。平成10年に四国横断自動車道引田インターチェンジの工事に伴い、惜しまれつつ広告塔が撤去。

1988年(昭和63年)

「ふりかえる百年、みつめる百年、きぼうの百年」をテーマにハンドピア‘88手袋百年祭が白鳥町総合会館を中心に開催される。引田町中央公民館ではアメリカ、西ドイツ、イタリア、スペイン、中国、韓国の手袋製造業界の代表を招き、日本を加えた7カ国により世界手袋サミットも開催される。

1988年

1991年(平成3年)

手袋の海外生産比率が50%に達する。

1995年(平成7年)

スノーボード手袋の製造販売が始まる。

1996年(平成8年)

UV手袋の製造販売が始まる。

1996年

2008年(平成20年)

東かがわ市の手袋製造120年を記念してバーチャル・グローブ・ミュージアムが開設される。日本手袋工業組合内で「香川のてぶくろ展示会」が開催される。

2009年(平成21年)

「香川のてぶくろ資料館」開館、「香川の手袋アウトレット店」オープン。

2009年

2014年(平成26年)

古い手袋や製造道具721点が国の登録有形民俗文化財に登録。「香川手袋」ブランド創設。

2014年

2018年(平成30年)

東かがわ市の手袋産業が、130年を迎える。