グローブミュージアム‐日本手袋工業組合

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東かがわ市手袋産業の歴史

  • 東かがわ市の風土
     東かがわ市は温暖で降雨量が少ない瀬戸内式気候です。そのため稲作だけでなく、製糖業や製塩業が産業として根付きました。
     白砂糖の原料である甘蔗(さとうきび)は比較的乾燥に強く、その栽培は日照りや洪水に見舞われることが多かった白鳥平野に適していました。また塩も温暖少雨の気候条件に適していました。
     しかしながら、明治時代の中ごろになると製糖業や製塩業が衰退し、それに従事していた人々は産業の衰退とともに、生活も苦しくなってきました。
     それとともに、歴代の高松藩主の手厚い保護と人々の信仰に支えられ朱印地として栄えた白鳥神社の門前町も、明治時代になると高松藩の保護がなくなるとともに特権もなくなり、その賑わいも失われつつありました。
     この現状を憂い、救済策を考えていた教蓮寺(東かがわ市松原)の住職楠正雄は、大阪で手袋製造を行なっていた棚次辰吉に相談し、教蓮寺境内で手袋製造を行なうことを決めました。明治32年(1899)に、技術の伝授や原材料の調達などは棚次辰吉が行い、資金は松原村村長であり塩田地主であった橋本安兵衛の出資により、積善商会(しゃくぜんしょうかい)が設立されました。これが東讃地方における最初の手袋工場となりました。


    上空からみた白鳥平野
    上空からみた白鳥平野 向かって左に流れるのが湊川
    (香川県埋蔵文化財センター提供)
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  • 東かがわ市手袋産業の歩み
     東かがわ市の手袋づくりは、明治21年(1888)に両児舜礼がメリヤス手袋を製造したことを始まりとしています。その後、棚次辰吉が最初の手袋会社「積善商会」を設立し、本格的に経営がなされました。大正3年(1914)に勃発した第1次世界大戦特需で、香川県松原村(東かがわ市松原)出身者を社長とする大阪手袋株式会社と東洋手袋株式会社が相次いで設立され、産業としての基盤が確立しました。次第に手袋産業が東讃地方の主要産業として発展してきますが、太平洋戦争中の戦時体制によって繊維統制が敷かれ、多くの企業が整理統合され、その発展が阻まれます。しかし終戦後、昭和20〜30年代には高度経済成長の波に乗り、ついに世界一の産地であったアメリカ合衆国を抜き、当地が世界一の手袋の産地となります。
     昭和63年(1988)には手袋産業100年を記念するハンドピア‘88手袋百年祭が行われ、更なる100年へのスタートを切りました。その後、いわゆるバブル景気の崩壊による長期不況や気象温暖化に対処する新技術・新商品の開発に努め、一方ではグローバル化に対応した海外生産体制の確立を図り、新しい地場産業としての環境整備がなされています。
     こうした努力により当市の手袋産業は、全国的なシェアを維持し続けています。これは多くの先人たちの努力や苦労の賜物といえるでしょう。
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